対談 黒沢清×小泉今日子:アニエス・ヴァルダ、あるいは「映画における女性」をめぐって
司会:結城秀勇(雑誌「nobody」編集長)

人生の様々なページ、広がりを、浜辺で貝を拾い集めるように、遊び心とともに、優雅に見せてくれるアニエス・ヴァルダの新作『アニエスの浜辺』。この作品が2009年10月に岩波ホールで公開されたのを記念して、東京日仏学院と岩波ホールにて同監督の特集を行いました。この特集のスペシャル・ゲストとして、2008年カンヌ映画祭、「ある視点」部門審査員特別賞を受賞し、日本のみではなく、フランスでもたくさんの観客の心を揺さぶった傑作『トウキョウソナタ』の黒沢清監督と主演の小泉今日子さんをお迎えしました。アニエス・ヴァルダの新作のことから、ドキュメンタリーの中から生まれるフィクション的なるもの、「女性性」、そして『トウキョウソナタ』の撮影時のエピソードなどを語っていただきました。
司会:早速、今会場のみなさんが御覧になっていた『アニエスの浜辺』についてご意見を伺うところからはじめさせていただきたいのですが、まず黒沢さんはこの映画についてどのように思われますか。
黒沢:僕はアニエス・ヴァルダ監督の昔の作品は何本か見ているとは思うんですが、久しぶりに最近作を見ました。面白かったですね。1カット1カット、あるいはシチュエーションごとに、ちょこちょこっと気が利いている、何か一つ工夫がしてある、何か「これが撮りたい」という欲望を一度ひねってある、ヴェールにかけられている。それが全然あざとくなく、とても気持ちの良い、作者の心遣いのようなものを感じました。今時ビデオなどで撮影すると、映像の機能を生かして、被写体ともろに観客を向き合わせてしまう。どうだこれを見ろとか、これを聞けとか、これはこうなっているという、とても直接的な表現、あけすけに物事を曝け出してしまう、ということが多いんですけれども、フィクションでもドキュメンタリーでも。
この映画はひとつ、作者の何か味付けがしてあって、それが気持ち良かったですね。
こんな映画がかつてあったんだろうけども最近ちょっと見たことがない、とても心地の良い映画だなあと思いました。
司会:それについて詳しく伺う前に、小泉さんからもご感想をお聞かせいただけますか。
小泉:私は、彼女の作品を初めて今回見たんですけれど、ドキュメンタリーなんでしょうけれども自分の話を自分で撮って、自分もその画面の中に出てくる、だけど、その距離感というんですかね、自分と、その三役あると思うんですけれども、それぞれに別の距離感をもってこの映画を撮っているんだなっていうのがあって、だから見ている方もドキュメンタリーを見ているというよりは物語を見ているような気分にちゃんとなれて。それが黒沢監督のおっしゃっているようなことなのかもしれませんけれども、そんな気がしましたね。
司会:自分も出ているということはこの映画について重要なことではないでしょうか。これまでの作品もドキュメンタリー的なテイストでアニエス・ヴァルダが出て、ヴァルダ自身の役をやっているんですが、小泉さんが女優でいらっしゃると言う意味で、ヴァルダが自分自身を演じていることについて何か感じられたこと、監督とはまた別の顔というか、女優としてのヴァルダについて何か思われたことなんかはあるでしょうか。
小泉:そうですね、演じるというか、でも自分なんですよね。何となくその、普段人には見せない、見えない、心の中の自分を演じているんだろうな、と。それは自分にも経験がない、女優には逆に経験のないような気もするんですけれども。でも例えば歌を歌っているときには、そういう気持ちになるときはあるかもしれない。自分というのも、普段は人にあまり見せたくないとか見せないところっていうのをあえて演じる、という気がして面白かったですね。
司会:先ほど黒沢さんがおっしゃっていたヴェールが一枚かかっているような距離感、というのは、そういうこととはまた別なんでしょうか。
黒沢:多分似ているんだろうなと思うんですけれども。なんていうんですかね、僕も自分を演じたことがないのでわからないのですが、まず過去の映像というのが写真を含めていろいろ出てくるんですけれども、アニエス・ヴァルダってもういい年なのにこんなに幼少時代の映像が残っているというのが、珍しいと言うか、ちょっとびっくりしましたね。それで過去の映像っていうのをまず見て、ここからどれだけ自分というものが語れるか。かなりフィクションも混ざっているんじゃないかと僕は思うんですけれども、映像がないものはナレーションで補ったりもしつつ、やっぱり、こんな映像が残っていた、というところから自分の物語みたいなものを再構築しているのではないでしょうか。だから、ヴァルダ自身の真実がそのままぶつけられているというよりは、一度再構築してあるのかなと思いました。
こう言うと偏見に聞こえそうなので言うのをためらうんですけど、「女の子っぽい」ですよね。写真を砂に立ててみたりね、それから風吹くっていうのは僕もやるんですけど、風の吹き方も何かこうふわふわ優しいというか、ふわふわしたものをあちこちに取り揃えて。監督が女性だというある種先入観もあるんですけれども、久しぶりに女の子っぽい映画を見たな、という。(小泉さんの方を見て)と言われると、女性としては怒るものなんでしょうか?
小泉:(笑いながら)いえいえ全然。あの、少女時代の彼女の話も出てきたりもして、砂浜で造花を立ててお店屋さんごっこみたいな。その延長線で、鏡を置いたり写真を砂浜に立ててみたりして。私の好きな女の人っていうのは、おばあさんになっても心の核のところに少女っていうのを隠し持って、大事にしている人が好きだなと思うんですけど、そういうのが見えちゃうところが可愛いんじゃないですかね。自分の物語を作る時に多分見せないと成立しないんでしょうね。
黒沢:でも彼女が以前撮った映画では、そんなに何か女性っぽいとか、女性であることを強調している印象はないんですよ。
『アニエスの浜辺』の中でも自分がかつて撮った映画が出てくるんですけど、実にきっちり、男とか女は関係なく、まことにきっちり撮った映画だなと思えるんですけど、これがある時、年齢もあるんですかね、自分についてのドキュメンタリーを撮ると、いきなりなんか女の子っぽくなっちゃう。
小泉:多分、人のためには怒れるというかいかれるんだけど、自分になると、きっとそうならないんじゃないか。『歌う女、歌わない女』っていう映画も見たんですけど、それって女性問題についての女性解放運動の時期の話で、そういう何かに対して、自分以外に対してはすごい戦う気があるけど自分に対しては素直になっちゃうんじゃないですかね。そこが自分だから、それを見せないと自分を語れなかったんじゃないかという気が私はします。
司会:黒沢監督は以前に、自分の映画に出す女性は、夫婦みたいな関係であれば出しやすいけれども、恋愛関係みたいなのはちょっと出しづらいとおっしゃられていたと思います。で最近の、『LOFT』だとか『トウキョウソナタ』になってくると、もっと女性性といったらなんですが、単純に夫婦の関係に留まらないような女性を出されているんじゃないかと感じていまして、『トウキョウソナタ』では、元は夫婦というところから始まって、独りの「女」になる・・・のか?という、そういう役柄だったと思うんですけれども。
黒沢:そんなこと言ったかどうかは覚えてないんですけど・・・ただ、誤解されそうですけど、「恋愛ドラマ」ってほんとに、うまく発想できないんですよね。だから、男がいて女がいて二人が出会って愛し合ってっていう、そういうことが実際起こるってことは知っているんですけど、なかなかそれを面白いドラマにしようっていう・・・まあそういう面白い映画があるってことも知ってるんですけど。なかなか自分ではそれが苦手で。
それよりも、そういう恋愛沙汰がかつてありましたと。で、今がある。その後の二人、っていうと夫婦であったり、完全な夫婦じゃなくてもそういう関係になってしまった二人が、それからどうするのか、というほうが、さらに愛し合ったり離れていったりとか、色んなドラマを思いつけるんですけどね、僕にとっては、うーん、なんか・・・好きみたいですよ(笑)。だから恋人ものより夫婦ものの方が、何か、やりやすいんですけどね。
『トウキョウソナタ』は僕がこれまでやった中で最も年月を経た二人、ってことで、逆に一人一人が深く、かどうかはわかりませんが、少なくとも自由に描けたような気がします。
司会:こんなこと言ったら失礼かもしれないんですけど、『トウキョウソナタ』で小泉さんが演じられた「お母さん」てすごい「女の子っぽい」ところがあるなあと個人的には感じていて、それと同時に一人の女としてどう生きるか、という役柄だったのではないか。そのへんのところは小泉さんの中では何か矛盾したりする要素では無いんでしょうか?
小泉:そうですね、あの役に関して言えば、例えばその「妻である」とか「母である」ということにはある程度不満は無いんだけれども、誰が自分の話を聞いてくれて、誰が自分のことを女として見ていてくれてるんだろうっていう気持ちをずっと抱えてる。でもきっと女の人ってある程度の年齢になると、そういう思いに駆られることがあると思うんですよ。自分もそう意味で「孤独だなあ」って感じたりする時があるので、きっとある年齢を超えた女性ってみんなそういう孤独感みたいなものを持っているような気がして、で彼女もそういう人だったわけで。だからやっていてすごい楽しい役でしたね。
黒沢:今でも覚えているんですけど、あの長男の彼と、最初の方でなにげなく私免許取ったんだってやり取りするところで、僕は何も指示してないんですけど、小泉さんすごく可愛らしかったです。母と息子というよりは、何か恋人同士のような。まさに「女の子っぽい」感じでしたよね。
小泉:きっとね、私は親になったことが無いんですけども、夫がそうでなくなった時に、成長した息子に、少しこう、何でしょう、特別な感情っていうか、ここだったら女の子になれるかしら、って試してみたりするんじゃないかなって思って。長男と母親っていうのは相性がよさそうな親子で、次男と父親っていうのは似ているからぶつかっているみたいな、親子でも絶対相性ってあるじゃないですか。兄弟が何人かいたら、この人は母親と相性が良くてこの人は母親とどうも合わないとか。そういうのがあるような気がしていて、台本を読んでいる時に、きっと長男とは一番楽しい時間を過ごせる人なんだろうなという想像をもとに、このシーンでそういうことが出来るかもってちょっと思いました。
黒沢:ありがとうございました。あのシーンとても良かったです。
司会:いま女の子っぽいという表現をした時に頭に思い描いていたのはまさにそのシーンです。
この映画でも、やはり息子のマチュー・ドゥミに対する愛情を、ジャック・ドゥミに対するものとは別にすごく感じますよね。
小泉:そう、やっぱり何か息子って特別なんでしょうね。私は女兄弟で育ってますし、わからないんですけど、なんか、あの役をやっている時分かる気がしました。
会場からの質問:小泉さんのお気に入りの映画はどんなものがありますか。
小泉:たくさん好きな映画があるからしぼるのは難しいんですけど、フランス映画の女優さんのあり方みたいなものがすごく好きで、そういう女優になりたいなと思いながらやっていたりするんですけど。小学校高学年の頃だったと思いますが、土曜日で学校が半分で終わって帰って、誰もいなかったんですよね。でパッとテレビをつけたらちょうど映画が始まったところで、お腹も空いていたんですけど釘付けになってしまって、微動だにせず最後まで見てしまった映画が、トリュフォーの『黒衣の花嫁』っていう映画で。ジャンヌ・モローの表情とか顔にすごい衝撃をおぼえて、無表情に見えるんですよね、人を殺したりとか子供と遊んでいたり。でも見ている私が感情が分かるっていうのはどういうことなんだろうって疑問をおぼえてから、演じるって面白いんだろうなあって思ったのがその映画がきっかけだったので、今日はそれにしてみます。当時は監督も女優も誰だかも分からないしタイトルだけ覚えていて、お母さんにどういう意味?って聞いたら、花嫁さんは普通白い服を着ているから、黒いってことは悲しい花嫁なんじゃないの?って。で20代になってから、六本木のウェーブっていうお店で探していたら、あった!ってレーザーディスクを買って、もう一回見たっていう。
2009年9月12日(土)、東京日仏学院エスパス・イマージュにて
採録:代田愛実
写真:鈴木淳哉








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